「期待の若手」を捨てて無職へ。私が福祉現場の”ド安定ルート”から降りた本当の理由

福祉と仕事

「もったいない」 「あと少しでサビ管(サービス管理責任者)になれるのに」 「この業界でそこまで給料が良いところ、他にないよ?」

退職を考えていると伝えたとき、周囲からは止められました。 当然だと思います。

新卒から障害者入所施設で4年、転職して就労継続支援B型で4年。 福祉業界で8年のキャリアを積み、30歳手前で現場のリーダー格。 田舎にしては給料も業界水準よりちょっぴり高く、周囲からの期待も感じていました。

いわゆる、福祉職としての「ド安定ルート」に乗っていたんです。

それでも私は、そのレールを自ら降りました。 そして、昨年3月から10月まで、あえて「無職」になりました。

今日は、なぜ私が順風満帆に見えるキャリアを捨ててまで「無職」を選び、そして今「パート職員」として働く道を選んだのか。その「戦略的撤退」の全記録を書き残しておこうと思います。

「飽き」と「不安」との4年間の戦い

正直に言うと、職場に入った1年目から「辞めたい」と言い続けていました。 なんだかんだで4年も続けてしまいましたが、ずっと心の中にあったのは**「飽き」「焦り」そして「違和感」**です。

「このままここに居て、自分はスキルアップできているんだろうか?」

安定して現場は回せる。評価もされる。でも、同じ毎日の繰り返しの中で、自分の成長が止まっているような感覚。 ただ惰性で年数を重ね、年齢だけ上がっていくことへの強烈な不安がありました。 「やっと辞められた」。それが退職した瞬間の正直な感想でした。

「人の夢」のために生きる情けなさ

決定打となったのは、ある日ふと感じた違和感でした。

「俺、人の夢のために動いてるよな?」

組織の目標や理念はもちろん大事です。でも、それが「自分のやり方」や「目指す方向性」と合っているかというと、別問題でした。 方向性が違う他人の夢(組織の目標)のために、自分の時間を削り、自分の人生を消費している感覚。

「自分の城(人生)を築く前に、他人の城の石垣ばかり積んでいる」

そんな自分が急に情けなく思えてしまったんです。 もっと自分のために、自分の人生を使いたい。その思いが爆発した瞬間でした。

「無職」という最高のリセット期間

そうして30歳目前にして突入した、7ヶ月間の無職生活。 ここですごいのは、「将来のために勉強しました!」……なんてことは一切なかったことです。

本当に、最高でした。

時間があるからと言って、ブログ や 投資の勉強? 一切していません。 その代わり、今まで仕事のせいにしてまでやらなかったことを全部やりました。

  • ずっとやりたかった絵の練習に没頭する
  • したいしたいといってしていなかったランニングする
  • 平日の昼間から映画やアニメを見漁る
  • あてのないドライブに出て、美味しいものを食べる
  • ふらっと旅行に行く
  • ずっと寝る

「生産性」なんて言葉はゴミ箱に捨てて、ただただ「自分のやりたいこと」だけで時間を埋め尽くす日々。 新卒からずっと働き詰めだった私にとって、この「空白期間」こそが、何よりも必要な栄養だったんだと思います。

そして現在、パート職員という「最適解」

7ヶ月間、全力で遊び、全力で休んだおかげで、憑き物が落ちたようにスッキリしました。 そして現在。私は再び、就労継続支援B型の現場に戻ってきました。 ただし、「正社員」ではなく「パート職員」として。

「キャリアダウンだ」と笑う人もいるかもしれません。 でも今の私にとっては、これが最適解なんです。

まず、気軽に休めること。 正社員時代の重圧から解放され、自分のペースを守れます。 正直なところ、**「まだガチでは働きたくない」**というのが本音です(笑)。リハビリ期間というか、仕事に全振りの生活には戻りたくない。

そしてもう一つは、「職場の様子が見れる」こと。 責任ある立場だと、組織の悪い部分も背負い込まないといけませんが、パートなら一歩引いた視点で「この職場はどうなのか?」「人間関係は?」と、冷静に観察することができます。

組織のしがらみや責任から距離を置き、福祉の仕事も楽しみつつ、残りのエネルギーは全て「自分の夢」のために使う。 あの時、勝ちルートから降りるという決断をして本当によかった。心からそう思っています。

「パート職員×資産形成」という、この新しい実験がどうなるか。 これからこのブログで、その過程も全部さらけ出していこうと思います。

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